産業における安全の価値とリスクアセスメント

向殿政男*

(静電気学会誌,Vol.25, NO.2, pp.60-64 より転載)

 

1.           はじめに

 産業分野の各種の活動,例えば製品やシステムの製造,その流通と販売,ユーザとしての利用,最後の廃棄等の諸活動は,多くの基本的な価値観,例えば,性能を始めとして機能性,経済性,利便性,信頼性,安全性等々に支配されている。何に最も価値を置き,何を重視するかは,その製品やシステムが生まれる時代的背景やそれに関連する人々の意識等に大きく影響されている。その中でも安全は最も社会に左右される傾向が強い。例えばその製品が人体に直接危害を加える可能性がなければ,安全性については一般には問題にされないだろうが,危害を加える可能性が少しでもあれば,安全性を問題にしなければならないはずである。しかし,たとえその製品,例えば工作機械などが時々作業者に怪我をさせるようなことがあっても,それから受ける利便性やそれを販売することによる利益を考えた場合,安全性を軽視することは十分考えられる。また,その使用が長い期間で地球の環境を汚染したり,人間に対して精神的に悪い影響を及ぼしたりする事が判明した場合,これまでの便利さ,その社会に対する経済的な貢献,その製品を使用することで職を得ている多くの人間や組織等を考えた場合,安全性の点からすぐにその使用を止めたり禁止したりすることは躊躇され,時には無視されることもあり得る。これは,その社会が利便性,経済性との関係で,相対的に安全性にどこまで価値観を置くかということに依存する。この問題は,どこまでやれば安全と言えるのか等々の問題を提起することになる。また,一方で,機械を製造したり,それを使わせたりする事業者や管理者は自分が怪我をする訳ではないので,ある程度の事故の発生は予想して保険でカバーしようとする確率論的な立場を取り易いが,作業者本人は怪我をするか,しないか(1か0か)で,確定論的な立場からいかなる事故の発生も認め難い。両者の間で安全の価値観に対して一致したものを見出すのは難しいにも係らず,実際には経済活動は行われている。安全は,優れて文化の問題である。

 本論文では,機械安全の分野,すなわち機械の使用中,人が誤ったり,機械が故障したりすると,人が怪我をしたり,時には死亡事故に至る可能性があるような場合に,安全を如何に確保するかということを例にして,安全を考えてみることにする。

 

2.安全とリスク

 「安全」とは,一般に危険の反対概念として,「危険でないこと」を意味するが,危険が一つ一つ指摘できるのに反して,安全は危険がすべて存在しないという否定形で表現される概念のため,把握しずらい性質を持っている。第一,何を以って危険とするかを明確にしなければならない。現在の国際安全規格1)では,安全は,危害とリスクの二つの概念を通して定義されている。まず,危害(harm)とは,“人体の受ける物理的傷害もしくは健康障害,又は財産もしくは環境の受ける害”,と定義されている(ただし,機械安全の分野では,人体の受ける物理的傷害もしくは健康障害のみが対象になっている)。リスク(risk)とは,“危害の発生する確率及び危害のひどさの組み合わせ”と定義されている。これらを通して,安全性(safety)は,“受け入れ不可能なリスクがないこと(freedom from unacceptable risk)”と定義されている。この様に,安全とは絶対安全を意味するのではなく,リスクという数量的概念を導入して,それが許容できるまで低く抑えられている状態を意味している。すなわち,安全と言っても常にリスクは残存することを認めているのである。ここで問題となる概念は,リスクの真の意味と受け入れ不可能の基準である。

 リスクの定義における危害の発生する確率とは,機械の危険側故障の発生確率だけではなく,例えば,たまたまそこに人が居合わせる確率や,人間が避ける事が出来ない確率等が関係する。図1に国際安全規格ISO14121で示されるリスクとリスク要素の関係を示す。

一方,危害のひどさを如何に表すかが問題である。リスクは,保険業界,証券業界等でも広く用いられている概念であって,そこでも同じように,確率と損害のひどさの組み合わせとして定義されている。これらの業界では一般に,金額で損害のひどさを表している。この時,確率とひどさの組み合わせを掛け算と解釈すれば,リスクの次元は金額になり,互いに比較可能となる。しかし,安全の分野では,危害のひどさをそのまま金額の直すことは出来ず,また,組み合わせを掛け算と割り切ることも一般には出来ないので,問題を複雑にしている。それでも,少なくともリスクは数量的概念であって,比較可能であると考えている。リスクの見積の例を4章で簡単に紹介する。

 

<<図1:国際安全規格ISO14121で示されるリスクとリスク要素

>>

 

 受け入れ可能か否かについても議論の分かれるところである。許容可能なリスク(tolerable risk)という概念があって,“その時代の社会の価値観に基づく所与の条件下で,受け入れられるリスク”と定義されている。受け入れ不可能なリスク(unacceptable risk)がないことと受け入れられるリスク(acceptable risk)とは等しいのか,またそれは許容可能なリスクと等しいのか。それとも受け入れられるリスクは許容可能なリスクより小さいのか,また両リスクは区別出来るのか,又は本当に区別する必要があるのか等々については,現在も議論のあるところである。この関係を図2に示す。リスクは,各種の安全方策を施すことで低減が行われる。

 

<<図2:許容可能なリスクと安全>>

 

3.       国際安全規格2)

我が国は安全の先進国と思っている方も居られるかもしれないが,筆者の意見は逆で,遅れて居るとしか言えないと思っている。これまでわが国では,機械そのものを安全に作るというよりは,機能とコストが重視されてきた。実際の現場の安全確保は,これまでの現場の作業者・技術者が優秀であったためか,主として作業者の注意で実現されて来た。安全は,技術で確保するよりは,どちらかというと教育・訓練で実現することに重点が置かれて来た。そして,たとえ事故が発生しても,責任は現場の作業者に帰され,真の原因を追求して,機械の設計にまでフィードバックすることが少なかったために,安全を確保する技術が十分に確立されていなかった。機械の設計にまで事故の責任が求められることが少なかったからである。

 一方,現在定まりつつある国際安全規格3)では,安全の階層的実現を目指し,取るべき安全方策に順番をつけている。そして,設計者とユーザとの間の義務関係が明確にされている(図3)。すなわち,

1)設計によるリスクの低減(本質安全設計)――機械の設計段階におけるリスク低減

2)安全防護によるリスクの低減――機械自体のリスク低減対策では未だ不十分である場合における対策としての防護策(ガード)の利用

3)使用上の情報によるリスクの低減――これらの安全方策を施した後に残るリスクをユーザへ伝えるための指示事項,及び警告

の順に適用しなければならないと規定されている。メーカ側で機械自体に上記のようなリスク低減対策を施した後にユーザ側に渡され,ユーザによる

4)組織や訓練によるリスクの低減

はその後とされている。すなわち、現在の国際安全規格では,ユーザ側ではなく,まず最初に機械側で安全を確保することが要請されているのである。

 

<<図3:安全方策の順番と設計者とユーザの義務の関係>>

 

 

 

4.       リスクアセスメント4)

 リスクアセスメントとは,通常,リスクを事前に評価することであるが,機械安全ではもっと広く,もし,リスクが許容される程度よりも大きい場合には,上記の各種の安全方策を施して許容以下のリスク,すなわち安全になるまで下げるステップ全体をリスクアセスメントと呼ぶのが一般である。図3は,現在の国際安全規格で示されているリスクアセスメントの手順である。 まず第1に安全方策の選択指針として、その機械に対する使用条件,すなわちスペース上の制限や時間的制限等を明確にしておかなければならない。ここで同時に,合理的に予見可能な誤使用,すなわち通常の人間が間違えてやりそうなことも見出しておかなければならない。次に、機械寿命上の全ての局面にわたって,人間との係わりや機械で起り得る状況を考えて,そこに存在するすべての危険源を見出さなければならない。これを危険源の同定と呼ぶ。ここで危険源(hazard)とは,“危害の潜在的根源”と定義されている。次にそれぞれの危険源に対して,傷害又は健康障害にいたる全ての状況を想定し,そのリスクを見積もる。そのリスクが許容されるものであるか否かの評価の結果,もし,リスクが十分低減されていれば問題ないが、許容可能でないリスクが残留すれば、再び本質安全設計、安全防護、使用上の情報の順に安全方策を施すことにより許容可能なリスクにまで低減することが要求される。

 

<<図3:リスクアセスメントの手順>>

 

実際のリスクの評価は,厳密な数量化が困難なための,リスクのランク分けに基づいて行われるのが普通である。表1に具体的なリスクアセスメントにおけるリスク評価の一例を示す。表1でランク1,2が安全であり,3,4は安全とは認められないことを表している。

リスクアセスメントのやり方については,一般的な方法はない。しかし,製造メーカは,自ら危険源を洗い出し,それぞれの危険源に対してリスクアセスメントを実施して安全の確保を技術的に実現してから出荷することを,国際安全基準は要請している。現在,我が国では,欧州に輸出する製造メーカ以外には,本格的にリスクアセスメントを実施しているところは少ないのではないだろうか。

 

<<表1:リスク評価の例

>>

 

 

5.       産業における安全の位置付け

一般に,機械の作業で事故に遭わないようにするためには,主に、

・機械そのものを安全に作る(製造メーカの役割)

・使用する作業者が注意をする(作業者の役割)

・管理・運営を徹底する(事業者の役割)

・規格、法規制で支援する(業界、国の役割) 

等の方法がある。これらはバランスのとれた、統一した思想の下で,組織的な取組と運用がなされていなければならない。

これまでの我が国の機械安全については,一部の特殊な機械を除いては,設計者,すなわち製造メーカに安全の確保を義務付けては居ない。安全規格については国が強制規格にしてくれれば一斉にそれに従うし,その技術的能力は持ち合わせている。JISのように任意規格では誰かが抜け駆けをして安全規格を守ったメーカが結局は損をするから守らないことになる。こう考えている現在のわが国の製造メーカには問題がある。コストと効率を重視する経営者側にも問題がある。安全確保を技術よりも人間の注意よることを重視する管理側にも問題がある。そして,上述のように規格を作り守らせる側にも問題がある。これらは安全に関する意識のあり方に起因している。欧州では,ISO,IECの国際安全規格に準拠して,これを満たしていないと欧州域内では機械の流通を認めないと言う強制法規方式を採用している。その為,労働災害は劇的に減って,例えば、英国のプレス機械による災害の件数は、わが国の発生件数より1桁以上も少ないのが現状である。我が国は安全に関してはグローバルスタンダードから取り残されてしまっている。そろそろ,機械安全に関しては,いや,電気安全,食品安全,原子力安全,医療安全,――等々,産業界のすべての安全に関して我が国は根本的に考え直して,本格的に取り組まなければならない時期に来たようである。

このような世界的な流れの中,機械安全に関しては我が国は現在,通産省ではISO, IECの国際安全規格のJIS化を急いでいるし,労働省は,ISO12100(3)(機械類の安全性基本概念,設計の一般原則)に従い機械安全の包括基準を定めようとしている。しかし,これまで,作業者の安全を守る労働安全は労働省,安全な機械の製造に関する機械安全は通産省という区別が歴然とあって,総合的な安全の実現に関して両者の協調は必ずしも良かったとは言えない。製造メーカに対して,安全な機械や装置を作らせ,安全な機械を流通させるためには,インセンティブが必要であろう。強制法規で罰則を与えるか,PL訴訟等で法外な賠償金を払わされると言う金の面から攻めるか,すなわちヨーロッパタイプかそれともアメリカタイプかの何れかを取る必要性がありそうである。それとも,企業の倫理観に頼るということも考えられる。現在の我が国の状況を考えると,ヨーロッパタイプ,すなわち国が安全要求事項を明確にして,それを満たさない限り流通を認めないとし,そして具体的な基準はJIS規格を準用するという形から入るのが最も無理がないかもしれない。これは,近々,労働省から省令として出されるであろう機械安全の包括基準を労働安全衛生法の中に取り入れて強制法規とすれば,曲がりなりにもすぐにスタートすることが可能な形である。労働省,通産省等の政府機関の英断を期待したいところである。しかし,21世紀の安全として最も望ましい形は,産業界が自主的に安全基準を設定し,矜持と倫理観と使命感を持って製品に安全を作り込んで行き,第3者機関を通じて認証を行い,政府はこれらの制度を支援するというものであろう。認証を受けていない機械や装置に対しては,ユーザや作業者は異議申し立てを行い,保険会社も高額な保険を要求することで,実質的にそのようなものは流通することが困難なようになることである。このためには,国民全員が安全の重要性を認識し,大事にする文化が必要であると共に,独立な機関による公平で客観的な認証を行うという習慣と制度を持たなければならない。前者が,安全文化の醸成であり,後者は現在のグローバルスタンダードになりつつあるマネージメント制度の確立なのである。そして,技術的には,リスクアセスメントに基づき,各種の安全方策により安全とみなせるまでリスクを低減することが必須となる。

6.       おわりに

21世紀,我が国を安全技術情報の発信国,安全文化の豊かな国にしたいものである。そのためには,人間尊重,人命重視を第一にするという風土,安全のためには何でもすると言う意識を我が国に根付かせなければならない。そして,生活をしている限り絶対安全はあり得ないのであるから,リスクを以ってお互いに冷静に,合理的に安全を語り合える社会を構成したいものである。 この実現に向かって,産業界,政界,学会がお互いに協力をしながら,それぞれが継続すべき努力目標を持って進むべきであろう。

筆者は,「安全技術を確立することでコストは下がり、使い勝手がよくなり、効率が良くなり、ひいては環境にも貢献することを身を以って実証することが重要である」ことを提唱し,「安全の技術と思想の確立をもって世界に貢献し,“安全立国”を掲げ、“安全”の理念を以って我が国の国是としたいものである」5)ということを思いつづけている一人である。

参考文献

1) ISO/IECガイド51(1999):規格に安全面を導入するためのガイドライン

2) 向殿政男監修:ISO機械安全国際規格,日刊工業新聞社(1999)

3) ISO/DIS12100(2000):機械類の安全性ー基本概念、設計のための一般原則(標準情報B 0008, B 0009, 日本規格協会)

4) ISO14121:機械類の安全性--リスクアセスメントの原則(JIS B 9702)

5) 向殿政男:品質,日本品質管理学会,30, 3(2000) 255

 


 

図2:許容可能なリスクと安全


 

図3:安全方策の順番と設計者とユーザの義務の関係


 

図4:リスクアセスメントの手順


 

頻度のランク

ランク

解釈

信じられない

ほとんどない

あり得る

時々

起きる

よくある

 

 

ひどさのランク

ランク

解釈

無視可能

ぎりぎり

重症

破局的