季刊 明治 No.5, 2000年1月,明治大学 より転載

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私の大学院教育

理工学研究科基礎理工学専攻

向殿政男

 

  私の研究室の活動を主に紹介して見よう。私の研究室は「システム科学研究室」と称しているが、研究テーマは「情報」、「論理」、「安全」の三つの観点から人間とコンピュータを繋ぐもろもろのこと、あらゆるシステムに興味をもってやっている。よく国立などにある助手が居て、技官が居てといった階層構造にはなっていないので、研究室の運営と研究の遂行は、私一人と卒論生と院生との共同作業と言う、フラットな構造をなしている。強いて階層構造と言えば、私が院生を見て、院生が学部生を見るといった形に現われている。3年のゼミから研究室に所属するが、研究に関しては彼等はなにも知らない。一方、博士後期課程の院生は、それこそ私も足元に及ばない面を一杯もっている。この間の連続した実力を継承し、育てることに、全員が関与している形をとっている。研究室は小さいながら一個の社会を構成して居る。まず、入って来る研究室の学生に対しては、挨拶などがしっかりと出来るように人間としてのたしなみと品格を大事にしたいと考えている。次ぎに基礎実力の涵養に務める。院生が学部生を鍛えるのはここから始まる。英語と情報、及び数理と論理のリテラシーを付けさせる。次ぎが研究テーマの選択である。ここが一番難しい。基本的には自分が見つけてくることにしている。中には私のやっているテーマ、または当研究室で継続しているテーマを選ぶ場合もあるが、強制はしないことにしている。自主的に取り組むことと、テーマに惚れることが一番だからである。研究のヒントは与えるが、あまり詳しい指示はしないようにしている。自分で問題を発見して、その面白さに魅せられて、熱中して行くと、院生は面白いように伸びていく。前期課程の時には出来たら国際会議で発表するように指導している。英語も駄目、外国旅行も始めて、専門家の前での英語の発表などとんでもないと思っている院生に、これは半ば強制する。旅費は有難いことに大学である程度補助をしてくれる。足りなければ研究室で補助をする。本人はげっそりするほど緊張するが、帰って来ると驚くほど成長している。後期課程になれば少なくとの数回は国際会議を経験することになる。

 この様に、院生との私の研究スタイルは、基本的には一緒に考えて、お互いに切磋琢磨すると言うものである。まず、話しあい、討論する。時には分かっていることを知らんぷりして聞いて見たりする。そんな中で院生は研究の方向を見い出し、興味と好きなテーマを固めていく。時には、とんでもないアイデアが院生から出て来たり、私自身いいヒントを得たりすることが時々ある。トップレベルの研究成果を挙げるには、方向を示す羅針盤とスピードとパワーの三つが必須である。方向(研究テーマとアイデア)が与えられれば、後はしらみつぶしに考えると共に、奥深く徹底的に考え尽くすしかない。ここにスピード(若さ)とパワー(集中力)が必要になる。スピードとパワーは院生にはかなわない。私の役割はこれまでの経験に基づいて研究のアイデアとヒントを与えたり、適切な方向を差し示す羅針盤の役割を果たすこと、及び最後に論文にまとめるテクニックを教えることである。情報機器を駆使して論文の形として仕上げるのは院生の仕事である。ちゃんと役割分担が出来ている。ただし、私自身が私なりに十分に考え尽くさないと、実は私の役割は果たせないし、最終的に研究成果は挙がらないことは、これまでの経験で良く分かっている。私自身が成長していなければ引っぱって行けない。そういう意味では院生とは共に戦いである。3年のゼミの時から4年の卒論、そして前期課程の2年、ここまでの4年間で学生の個性も十分によく分かり、良き研究仲間といった感じになる。博士後期課程までなると同僚と言った関係になり、研究以外も含めた一生の付き合いとなる。楽しく、嬉しいことである。

 以上が、大体の私の研究室での指導のあらましであるが、中には、途中で逃げ出したり、楽な方向に避けたりする者も居るが、基本的には、去るもの追わず、来るもの拒まずにしている。大学の評価は、大学院での研究が如何に活発かに強く依存する。特に、理工系はこの傾向が強く、私自身も工学研究科の院生であった頃の経験から、このことは十分に分かっていた。また、研究とは、徹底的に考え尽くし、諦めないでしつこく追い続けない限り、解決の糸口は見い出されないし良いアイデアも出てこない、従って質の高い研究は出来ないということも、身に染みて分かっていた。わたしの研究室の上で紹介した研究のスタイルは、このような私の考え方から自然と定着をして来たものである。

 今後も、どんな院生が来て、どんな研究が出来るか楽しみである。世界に通じる研究成果を明治大学から情報発信することを通して、また、優秀な博士を一人でも多く世に送り出すことを通して、愛する明治大学の名を高めるために、今後も研究指導に情熱を傾けて行きたいと思っている。そのことが私の楽しみであり、生きがいでもある。ただし、残念ながら、最近は大学の中でも研究・教育以外の仕事が増え、また学会等の外部の仕事が多くなって、余り学生と研究について討論を十分にする時間的ゆとりがなくなってきた。まったく残念至極である。特に最近は、何のために大学に職を得ているのか分からないくらいに多忙を極めている。大学はどっか狂っているのではなかと文句を言いながらも、必死に院生と話をする時間の確保に苦心しているのが毎日である。