コンピュータは人間の脳に勝てるか?

向殿政男

工学がわかる,AERA Mook No.68, 朝日新聞社,pp.137-139,2001-4 の原稿より

人工知能の新しい道

1. コンピュータは人間の脳に勝てるか?
 今の形のコンピュータが生まれたのは、20世紀の中ごろ、1945年前後と言われています。
その後、コンピュータは驚異的に発展したと見るか、原理的には何ら進歩をしていないと見るかは、識者により意見の分かれるところかもしれません。しかし、現在のように日常生活まで浸透し、ネットワークと結合して社会を変えるまでになるだろうと予測した人は余り居なかったのではないでしょうか。当初、コンピュータの原理を理解した人の中には、これは考える機械であり、やがては人工的に人間の脳と匹敵する機械を作ることができる、いや、そのうちに人間を追い抜く可能性があると唱えた研究者が居たのは事実です。そういう意味では、知的な振る舞いをするコンピュータを作ろうとする人工知能の研究は、コンピュータの誕生と同時に始まったと言っても過言ではありません。現在の、人工知能(AI:Artificial Intelligence)という言葉が生まれたのは、1956年のダートマス会議だと言われて居ます。
そこに参加していたミンスキー(M. Minsky)の命名によると伝えられています。その会議は、シャノン(C. Shannon)、マッカシー(J. McCarthy )や サイモン(H. A. Simon)など、その後の計算機科学を引っ張って行くことになる大物が参加していたことで有名です。後にノーベル経済学賞を受賞することになるサイモンは、特に楽観的で、コンピュータは10年後には、(1)チェスの世界一になる、(2)新しい数学の定理を証明する、(3)人間の心理を読む等々、幾つかの予言しました。人工知能研究の未来はバラ色でした。しかし,やがては、人工知能研究は、一時的に省みられなくなってしまいます。簡単な数学の問題を解いたり,ゲームを解いたりして,一応は知的な振る舞いをするプログラムは作られましたが,所詮おもちゃであり,実社会では役に立たないどころか,人間の知能の本質からはかけ離れたものであることが次第に明らかになってきたからです。10年後,サイモンの予言はどれ一つ実現されていませんでした(お陰で,ほら吹きサイモンなどと陰口をきかれる始末でした)。確かに、コンピュータは、人間など問題にならないくらい高い能力を有しています。例えば,記憶の容量と情報を検索するスピードは驚異に値します。第一、一端記憶すれば,指示がない限り忘れないのです。計算に至っては、1秒間に数百万回から何千万回という驚くべき回数の計算をこなします。この面では、間違いなく人間など足元にも及びません。しかし、一方で、人間は赤ん坊でもできるような簡単に見える問題,例えば人の顔の区別などは大いに苦手なのです。人間とコンピュータとの思考方法は本質的に,かつ原理的に異なっているので、お互いに比較すること自体が、及びコンピュータが人間を超えるかなどという問題設定自体に意味がないとするのが正しい理解であると考えられるようになって来ました。

2. 人工知能は何を目指しているのか?
人工知能は,もちろん,コンピュータに人間のように知的な振る舞いをさせることが目的です。そのためには,知能とは何かを解明することが必須でありました。その結果,研究者達は,人間の知能の複雑さを深く思い知らされることになります。一方で,人工知能は,輝かしい成果も挙げ始めました。10年後ではなく,30年後,サイモンの予言は,ほとんど実現されてしまっています。例えば,チェスでコンピュータは世界チャンピオンを破りました。四色問題という数学上の難問題がコンピュータを利用して解決されました(サイモンは,ほとんど正しい予言をしましたが,10年後といったからほら吹きなどといわれたのです。実現に3倍の時間が掛かったのです)。これらは,コンピュータの高速化と高機能化,膨大な記憶容量が追い風になり,コンピュータ独自のやり方で強力に解決策を見出す場合に威力を発揮し出しました。また,人間の知識を取り扱う分野でも,例えば人間の専門家の知識をコンピュータに入れて,コンピュータがあたかも専門家のごとく判断をするエキスパートシステムが実用になり出しました。ニューラルネットワーク(人間の脳細胞であるニューロンのモデルをコンピュータ内で模擬する研究)の学習機能や、ファジィ理論の知的情報処理などが実際に応用され,役に立つ例が増えだしました。人工知能が役に立ち始め,再び人工知能研究に脚光が当たりはじめたのです。しかし,やがて再び困難にぶつかります。Simon の予言の中で,未だに実現されていないものが有ります。すなわち,相変わらず人間の心理はコンピュータには読めません。これは,人間の知能の本質である認識・認知・意図等が解明されないと解決されません。コンピュータで実現されている知能は,如何に高度で知的であっても,あくまでも見せ掛けであって,知能とは何かという最初の根本的な疑問が本質的に解明されていないからです。
一方で,人工知能研究が果たしているもう一つの側面を忘れてはいけません。昔は,人工知能研究のテーマの一つであった自然言語処理,画像処理,音声認識,パターン認識,マン・マシーンインタフェース等の研究分野は,人間の知能を解明するという方向よりは,それぞれ実社会で役に立つ独自の情報処理の分野として育ち,現在の情報化社会を担う重要な技術として定着して行ったのです。これらの実用的な研究分野は,現在では知的な情報処理とは呼ばれても,人工知能の研究分野とは呼ばれません。人工知能研究は,これらの実用的で高度な情報処理技術のインキュベーション(卵を育てるための器)の役割を果たして来たのです。かつて,哲学から諸科学が分離して行ったように,人工知能研究から多くの情報処理分野が育って行ったのです。従って,人工知能研究とは,「その時点では,人間の方がより旨く実行できる知的な仕事を機械に実行させる方法を研究すること」と再定義する研究者も現れました。この意味では,人工知能研究は,常にコンピュータ技術に関して時代の最先端を切り開き,新しい実用的な分野を生み出すための役割を担いつづけているのです。

3. ロボットは友達になれるか?
 一方.コンピュータが動く機構と融合することで、ロボットが作られました。ロボットも人工知能研究から独立していった分野の一つなのです。工業用のロボットは,今では工場の主役になりました.もちろん誰もが最終目標として夢見たのは「鉄腕アトム」の実現でしょう.しかし、人間とまったく同じようなロボットの実現は,人間の知能が解らない限り,困難でしょう。この意味で,鉄腕アトムの実現は現在のところ不可能です。それでも見せ掛けであってもロボットに高度に知的に振舞はせることは可能です。現在は、福祉の現場や,危険な現場で知的に振舞うことにより、人間と共同し,人間を助ける知的ロボットの実現に向かっています.また,人間と共存し,人間に癒しを与える,そんなロボットがこれからは主流になるでしょう。この場合には,人間側が,主観的な感情移入を通して,擬似的な対話やロボットの振る舞いに可愛らしさと知性を感ずることに重点が置かれるようになるでしょう。
<<図:ロボットの人間とは友達>>

4. 人工知能の新しい道は?
現在の最先端の知識情報処理や感性情報処理の研究は,人間にとって分かり易く,人間を支援し,人間に優しいヒューマンインターフェースの開発にコンピュータの高機能を利用する方向に向かっています。 その中で," 人間の知的振る舞いを解明し,かつそれを人工的に実現する" という純粋の人工知能研究は,今後もこれまでのように見果てぬ夢を追いつづけることになるのでしょう。現時点では、知的と思われる対象をコンピュータで実現することを試みながら,そこから常に新しい個別の情報技術分野を育て,もう人工知能とは呼ばれなくなったその分野を離陸させるという営みを続けることになるでしょう。しかし,基本的には,人工知能研究は地道で純粋な人間の知能の解明です。そして,具体的な応用を目指した研究内容は,その時代と共に常に新しい課題を追いかけていくことになるでしょう。そのような中で,例えば,現時点で今後目指すべき人工知能研究にとって最も魅力的で有望な研究分野は,(1)脳科学との連携,(2)心の科学,認知科学との連携,(3)日常言語でのコンピュータとの対話,等でしょう。
今後,ますますコンピュータが発達して、いろいろなものと融合して,私達の生活が便利になることは間違いありません。しかし、便利になることが必ずしも直接人間の幸せに繋がるとは限りません.人間とは,社会とは,自然とは何かを考えて、コンピュータを研究し,私達の生活に取り入れていくことがキーポイントです.これからの人工知能研究は、人間とコンピュータとの共存を目指して,人間とコンピュータはお互いに得意なところを出し合って,人間の幸せのため、社会の安全のため,地球環境を守るため,人間とコンピュータとが友達になれることが目標です。