JABEEのインパクト!!
〜JABEE試行審査での貴重な経験〜
向殿政男* 若山邦紘**
Impacts
of JABEE Accreditation
〜From Valuable
Experiences on JABEE Trial Investigation〜
Masao
Mukaidono*
Kunihiro Wakayama**
Keywords:
JABEE, Accreditation, Engineering education, Industrial Engineering, Management
engineering
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*明治大学理工学部情報科学科
**法政大学工学部経営工学科
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1.まえがき
この度,JABEE(日本技術者教育認定機構)の認定試行審査というで貴重な体験をすることが出来たので,その間に得た印象等について述べさせて頂く。
まず,教育目標の確立、情報の公開、説明責任、外部評価,証拠に基づく立証、等々,わが国の教育がこれらのことに対してこれまで余りに組織的に取り組んでこなかったという事実を自覚されられたことである。また,我が国に早急に導入が望まれる第三者による教育プログラムの評価,認定という活動は,最もやり易く,社会的要望も強い技術者教育から始めるのは妥当なことであると確信をした。ただし,教育界にまで押し寄せている現在のグロ-バルスタンダードという流れの中で,固有の文化や教育の自由性,多様性等を如何に調整するかという基本的な視点が重要であると言う印象を一方で受けた。
具体的な試行内容やその結果については,第18回FMES・研連シンポジウム,「はじまったJABEE審査〜経営工学に関連分野における取組み〜」(日本学術会議経営工学研究連絡委員会)(1)において報告したので,そちらを参照
していただくことにして,ここでは,主として全体的な印象について述べさせて頂くことにする。
2.JABEEの目指すところ
大学の役割として,教育,研究,文化の継承,社会貢献,それに最近では産業の育成等々と多くのことが期待されている。その中で,何と言っても教育が第一であることは論を俟たない。教育にも,教養教育,専門基礎教育,専門職業人教育,研究者養成教育等々,多くの側面と役割がある。JABEEが対象とするのは,もちろん教育のうちでも専門職業人教育,そのうちの特に技術者教育である。 事実,JABEEの認定基準(2)に,“技術業に携わる専門職業人(技術者)を育成する高等教育機関における教育を認定する”とある。ここでの技術業を“数理科学,自然科学および人工科学等の知識を駆使し,社会や環境に対する影響を予見しながら資源と自然力を経済的に活用し,人類の利益と安全に貢献するハード・ソフトの人工物やシステムを研究・開発・製造・運用・維持する専門職業”と幅広く規定しているのは特徴的である。
ここでJABEEの認定基準を振り返って見よう。既に良く知られていると思われるが,JABEEの認定基準は,以下の様になっている。
基準1 学習・教育目標
基準2 学習・教育の量
基準3 教育手段
基準4 教育環境
基準5 学習・教育目標達成度の評価と証明
基準6 教育改善
の6つである。
特に特徴的なのは,基準1で,その内容は,
(1)下記の学習・教育目標の公開
(a)地球的視点から多面的に考える能力
(b)技術者倫理
(c)数学,自然科学,情報技術の能力
(d)専門技術の知識と問題解決能力
(e)デザイン能力
(f)コミュニケーション能力
(g)自主的,継続的な学習能力
(h)制約下での計画的な仕事の遂行能力
(2)特色を出す努力
(3)社会や学生からの要望の考慮
となっている。上記(d)の専門分野における分野別要件は,それぞれの分野で決められており,経営工学関連分野については,4−4で詳しく紹介をする。
我々審査チームは,要は,
(1)教育理念が設定・公表されていること
(2)それに沿ったカリキュラムが組まれていること
(3)その通り教育が実施されていること
(4)評価がちゃんとされていること
(5)評価に基づいて改善されていること
(6)評価・改善の仕組みが出来ていること
(7)以上がエビデンス(証拠)で確認できること
と解釈して,割り切って,JABEEの基準に従って,客観的に評価することに心掛けた。JABEEの基準や審査のやり方に対する疑問は後日,JABEEに直接意見を申し上げることにした(4-2,4-3参照)。
3.試行前のJABEEに対する素朴な印象と疑問
筆者の試行審査を引き受ける前の認識では,JABEEの目的は,素朴に,次のように考えていた。現在,わが国の技術者は,実力がある場合にも係らず,世界に通用する資格を持っていないために,世界的に活躍できない。技術のグローバル化に従い,
わが国の技術者にも世界共通の基準・資格を与え,世界的に活躍して貰いたい。更に,技術者のステータスを高めるために技術者を適正に処遇する制度が必要である。そのためには,技術者教育の質の同等性を世界的に示し,それを保つ必要が有り,世界共通の認定制度に参加したい。ひいては,学生の勉強のモーティベーションを高め,組織よりは個人を重視することで技術者として自立したプロ意識をもった人材の育成したい。また,
このことを通して,技術者教育の質の改善を目指したい。
一方,この素朴な認識に対する素朴な疑問は,教育の画一化を招かないのだろうか?卒業生の能力、知識の評価は本当に出来るのだろうか?と言ったものであった。
4.試行結果とその報告
4-1.審査員と試行対象校
今回の試行審査は,経営工学分野においては初めてであり,他分野に比べて遅いスタートであった。もちろん,審査員は全員未経験者であり,対象校も未経験であった。審査員は2日間の事前研修で初めてJABEEの意義を理解した。FMES(経営工学関連学会協議会)のJABEE委員会で審査チ−ムとして,
審査長:向殿政男(明治大学)
副審査長: 若山邦紘(法政大学)
審査員:渡辺一衛(成蹊大学),加藤治信(
富士ゼロックス(株))
オブザーバ:松井 好(科学技術と経済の
会),木嶋恭一(東京工業大学),伊地知
寛博(科学技術政策研究所)
の計7名,試行対象の高等教育機関(プログラム)は早稲田大学理工学部経営システム工学科と決定し,2001年12月21日〜23日の3日間,実地審査を行った。早稲田大学側のJABEE対応者は,
尾島俊雄学部長(JABEE対応責任者),森戸晋学科主任(プログラム責任者),吉本一穗教授,棟近雅彦教授であった。
審査側の準備としては,一度,全員で会合を持って事前打合せを行い,後はすべてメイル会議とした。また,今回に限り,審査員もオブザーバも全員均等に仕事を割り当てることにした。早稲田側は,事前の自己点検書の作成はもちろんのこと,当日,各種のエビデンスとなる資料,例えば,シラバス、議事録、ビデオ、学科パンフレット、卒論、テスト問題・答案,等々,合計77種類もの資料を用意して万全の体制で審査チ−ムを待ち受けていてくれた。
4-2.試行審査で出された課題点
実地審査は,JABEEの規定どおり,施設の視察,授業参観,学部長・事務長・事務スタッフの面談,資料閲覧,自己点検書の質疑応答,教員全員との面談,助手・技術職員・事務職員との面談,学科3年生・4年生との面談,卒業生(今回は修士の学生)との面談,」実地審査最終面談と実施結果の報告,という順で行われた(1)。この過程で出された幾つかの課題点を列挙してみる。
(1)評価基準の真の意味がなかなか読みとれなかった。例えば、「地球的視点」等の意味などは曖昧である。
(2)総学習時間の計算方法が不明確で、このままでは、例えば、実験,実習、工場見学や卒業研究の時間計算が明確に出来ない。
(3)日本の場合、厳密に計算すると2000時間は少し長すぎるのではないか。
(4)「公開」の定義が不明確である。例えば,広く社会の公衆−たとえば,このプログラムの学生・教員のみならず,将来,このプログラムにおいて学習しようとすることを考えている潜在的学生や,将来,このプログラムの修了生を雇用することを潜在的に検討している企業,さらには,このプログラムの修了生であることに何らかの利害関係を有している者−に対する開示であるのか,このプログラムを学習している学生や,このプログラムで教育している教員など,特定の者に対する明示を意味しているのか不明である。
(5)JABEE基準項目と学科の学習・教育目標との対応が曖昧で、自己点検書だけからは、ほとんど情報を得ることが出来ない。
(6)各授業でJABEE基準のためにどのくらいの時間を費やしたかが,自己点検書からは良く分からない。
(7)最低水準のレベルがどの辺を意味しているのか良く分からない。
4-3.審査員からの意見
これ以外に審査員から出されて意見を順不同に記してみる。
(1)基準の内の一項目でも実施していないものがあるとプログラム全体を認定しないということであるならば,項目をもう一度吟味する必要があるだろう。一つの基準に対して満たしていないと他が全て基準を満たしても不合格というのは方法論の強要になり好ましくない気がする。
(2)学生の自己評価が最低の条件とは思えないのではないだろうか。奨励ということであれば、奨励項目を集めて各基準項目を得点で評価して合計点で認証を決めたり,重みを吟味した評価システムにしたりする方法もあろう。
(3)基準それぞれの重要度があり、これだけは「合格判定にとって譲ることができない」ものと「改善を促して早急に実施してもらえば済みそうな項目」があるように思える。後者のようなケースは「翌年までに改善してもらい、その点だけ再審査」ということも考えられる。
(4)日本独自の基準を検討し,それを世界的に認証してもらうという努力も行うべきではなかろうか。たとえば,卒業研究の位置づけは,我が国独特と思われるので、卒業研究に対する時間計算等も含めて検討すべきである.
(5)教職員が纏まった一つのチームとして,如何に活性化を図る努力をしているかという点も評価基準に加えられるべきである.
(6)特に、卒業研究は、実際に多くの時間を費やし、高い教育効果を上げているにも係らず、形式上の単位数も少なく、現在の計算方法では十分に総合学習時間に組み込む事が難しく,実質を反映していないことになる。
(7)我が国の大学における単位数と学習時間との関係は形骸化していて、実質的には、インフレを起こしている。この是正をJABEEとしては,積極的に提案して欲しい。
(8)自己点検書の作成ガイドに,「奨励する」と言う観点から,自己点検書の適切と認識されるだいたいの分量というものを示したらどうだろうか
(9)このような審査は,大学の革新には絶対に必要であるが、それをこのJABEEシステムに依存するのであれば、もっとこの活動の優先度を上げる工夫が必要であろう。(10)このシステムで学科を正式に認定するとなると審査基準の検討と審査員の審査能力・レベル合わせがきわめて重要になると思う。従って、審査員資格について十分に考慮すべきである。例えば審査員の決定プロセスの明確化、審査員養成プログラムの充実、などを考慮すべきであろう。
4-4.経営工学関連のカリキュラムについて
経営工学関連分野における分野別要件は,現在,
1.修得すべき知識・能力
(1)経営管理に関する知識と活用能力
(2)数理的な解析能力
(3)情報技術の活用,応用能力
(4)工学,経済学,経営学等の関連分野の基礎知識
2.教員
経営工学および関連分野の実務について教える能力を有する教員を含むこと
となっている。
今回の試行審査で,多くの指摘事項が有る中で,経営工学のカリキュラムそのものについては,審査委員からは,ほとんどクレームは付けられなかった。早稲田大学の経営システム工学科はほとんどクリアしているという事である。さすがと言えよう。
しかし,現在の経営工学関連分野の分野別要件は、もう少し幅を持たせるべきではないだろうか。特に、経営工学の分野は、常に新しい領域を開拓しつつあると共に,学際領域的であるために、分野別要件に柔軟性を持たせる必要があるはずである。
今回の早稲田大学においては,教育的観点から卒論の役割が極めて大きいことが分かった。すなわち,3年生の面接では,教育目標をしっかりと理解している人は少なかった。ところが,4年生や院生の面接では、所属する研究室の学習・研究目標を十分に理解して意欲を持っており、3年生と4年生の意識のギャップを埋める卒業研究の意義とその教育成果の大きさが理解できた。そして,蓄積されている指導資料及び提出論文等から、卒論の水準は極めて高いと判断された。ただ,現在のJABEEにおける学習・教育の量を示すには,卒論に費やす時間をエビデンスとして残す必要があり,これはかなり難しそうである。特に、経営工学関連では、実験系ではない研究室も多くあり、自宅や遠隔地でコンピュータ等を使用したりして必ずしも実験室に居ないで卒業研究を行うことが多々ある。このような場合には、毎週レポートとして提出させたり、発表用のパワーポイントの資料を提出させたりして証拠に代えることが出来るようにすべきであろう。以上の卒論に関する事項は,我が国の理工系に共通の現象ではないだろうか。
なお,今回の試行審査で,早稲田大学理工学部経営システム工学科の教員全員の良い教育をしようという意欲はもとより,実験担当の技術職員や事務の職員までもが学科の方針を理解して全面的に協力している姿には審査員チ-ムは驚かされたし,感激もした。本試行審査で勉強になったのは,我々審査チームであった事を告白しないわけには行かない。
5. あとがき
〜試行審査に当っての感想にかえて〜
JABEEの審査を行うことで,教育の画一化,すなわち,すべての経営工学関連の学科が「金太郎飴」のように画一化するのではないか?という当初の素朴な疑問は,「各大学が独自の学習・教育目標を掲げて,それを公約として実行することであり,その特徴をもった独自のプログラムがJABEEの基準を満たしていればよいのであって,全大学が同じ学習・教育目標を持つことではない」という考え方に納得出来た次第である。もう一つの素朴な疑問,卒業生の能力や教育の成果の評価は本当に出来るのだろうか? すなわち,卒業生の“質”はどのようにしたら評価できるのであろうかという点である。覚えた知識の多寡であれば,テストすることは可能かもしれないが,それは評価したいほんの一部であって,本質ではないだろう。アウトカムズ(達成度)評価と言うが,本当に出来るのであろうかという疑問である。質については,次のように考えることが出来ると思う。我が国の場合,ハード的な教育環境の整備については,設置基準があって,かなり厳しい条件が付けられている。これに対して,JABEEは教育システムの“質”の確保である。“良い教育システムからは,良い学生が育つ可能性が高い”からである。卒業生の質をレポートやテストの内容をチェックすることである程度保証をしようとしているのである。
今回の試行から自覚させられたことは,我が国では、現在、教員の教育に関する貢献の評価を厳密に実施している例はほとんどないのではないかということである。この点からは、我が国の現在の大学はほとんど不合格になるはずである。行われている評価は,研究評価ばかりである。大学が教育機関である以上、教育業績を評価する必要がある。現在は,教育時間ぐらいしか評価をしていない。教員個人個人はそれぞれ創意工夫を凝らしている方々が多いが、残念ながら評価するシステムがないのである。
もう一つ,JABEEの設立は技術者教育の当事者に良い反省の機会を与えてくれたが,
現在の欧米の風土に根ざした国際的基準審査方法には,日本的風土になじまない部分があるということである。JABEEは日本の風土の良い点を世界的に認知させる努力が必要であろう。
教育と言う立場から,JABEE認定制度に対して疑問がない訳ではない。JABEEが対象としているのは,結局は教育システムの“質”の確保である。しかし,“良い教育システムからは,良い学生が育つ”可能性が高いかもしれないが,必ずしもそのことを保証しているわけではない。逆に,教育システムの整備とJABEE認定の準備とエビデンス(証拠)作りに時間が費やされて,本来の目標の質の向上に目が向ける時間がなくなるという可能性がある。また,真の教育,特に教養教育については,JABEEがやろうとしている評価方法とは馴染まないのではないだろうかという疑問が残る。専門職業人教育では可能な面が多いかもしれないが,JABEEの学習・教育目標に,多面的に考える能力や社会に対する責任を自覚する能力等を掲げている以上,教育としてのこのような教養教育的側面を無視することは出来ないはずである。
細かいことに文句を付ければ,幾らでも言えそうであるが,それらを考えて見ても,現在のわが国の技術者教育にJABEE認定制度を導入することは,極めて意義のあることは間違いない。JABEEの実施しようとしている技術者教育プログラムの認定が,もし本格的に多くの大学で実施されることになれば、我が国の大学教育そのものに相当のインパクトを与えることになるだろう。教育・学習目標を契約として公開する、マネージメントシステムとしてPDCA(Plan:計画-Do:実施-Check:評価-Action:行動)サイクルの確立、第3者からの外部評価,証拠に基づく説明責任、等々,これまでうやむやにされてきた事項が必須になるからである。それほど,これまでのわが国の教育には,見失っていた視点が多すぎた。また,緊張感に欠けていた,評価がなさ過ぎた,社会やユーザである学生からの要望に目を余り向けなさ過ぎた,等々,反省すべき点,JABEE認定制度から学ぶべき点が多かったことを,今回の試行で知らされた。
実際の試行に参加してみた印象は,その本来の主旨への賛同と若干の疑問に加えて, JABEEの活動は,日本の大学にショックを与えて,日本の大学のこれまでの在り方を考えさせ、反省させる切っ掛けになるだろうということであった。すなわち,定常的改善のシステムを組み込む事で教育の質を向上させ,公開性に基づいて世界的に理解され、認知される方向に向かって,わが国の大学における技術者教育が、少なからず良い方向に影響を受けるだろうと言う面のほうが,当面,影響が大きいだろうということである。
一方,入ってくる学生の要望、質、やる気、満足度を考慮しない教育システムは,如何にシステムそのものの質が高くても意味がない。教育システムの質の確保と学生の要望とのせめぎ合い,そこに教育の質の向上の本質が有りそうである。JABEEが対象としているような教育システムの改善ステップを含み,かつ,そのことの良し悪しも含めて,教育とは何か,日本の独自性とは何か,その大学の個性と何かを考えながら,更に高い立場でのPDCAサイクルを常に回す必要があるということではないだろうか。JABEEの認定制度を旨く生かすも殺すも,実は我々教員の自覚次第であると言う,自明の結論かもしれない。
参考文献:
(1)第18回FMES・研連シンポジウム,「はじまったJABEE審査〜経営工学に関連分野における取組み〜」,日本学術会議経営工学研究連絡委員会,2002-5-17
(2)JABEE,日本技術者教育認定基準,2001-4-19
むかいどの まさお
向殿政男
1965年明治大学工学部卒,1970年同大学院博士課程修了,博士(工学)。同年明治大学工学部電気工学科専任講師,1978年同電子通信工学科教授,1989年明治大学理工学部情報科学科教授,現在に至る。ファジィ理論を中心としたソフトコンピューティング,安全工学,情報科学の研究に従事。元日本ファジィ学会会長,現日本信頼性学会会長。
わかやま くにひろ
若山邦紘
慶応大学理工学部卒,現在,法政大学工学部経営工学科教授,法政大学計算センター所長を歴任。日本オペレーションズ・リサーチ学会会員