第4章 暗号技術の現状
4−1 暗号技術の問題点
ここでは暗号につきまとう問題点として、国家権力との争いの歴史について
述べたいと思います。
アメリカには国家安全保障局 (NSA) と呼ばれる機関があります。NSAの
役割を一言で言うとアメリカの安全のために、世界中の通信を傍受したり盗聴
することです。NSAはいわば、国家が運営する巨大な通信傍受および盗聴機関
です。彼らにとって暗号技術の大衆化は、彼らの行く手を阻む由々しき事態に
違いありませんでした。暗号技術が広まり、誰でも強力な暗号を使うように
なると、このシグナル・インテリジェンス(通信の傍受と盗聴)が円滑に進ま
なくなります。そこでNSAは、暗号技術の拡散を阻止しようと動きました。
NSAははじめ、暗号の研究自体を管理しようとしました。しかしそれを断念し、
今度は輸出管理法を使って、暗号作成法を売る企業を厳しく管理する方向に転換
しました。NSAは暗号をライフル、爆弾、潜水艦と同じ「武器」であるとした
わけです。これが現在も存在する暗号の輸出規制です。
PGPを使って通信を行えば、それを解読しようと思っても、きわめて強力な軍事
レベルの暗号を使っているので歯が立ちません。もしこれを集団犯罪や国家謀略の
陰謀に使われたら、操作追跡をする側は手も足も出ません。そのようなソフトを一介の
反核運動家が自分で作って、しかもそれが、インターネットで世界中にすごいスピード
で浸透し始めました。国家は必死でこの事態を阻止しようと動き出し、ジマーマンに
対する捜査が開始され、彼はFBIに呼び出しされました。こうしてジマーマンと彼を
援護する弁護士たちと、国家権力が対峙することになりました。嫌疑の内容は、PGPの
輸出に関する件でした。PGPは武器であり、輸出が厳重に禁止されているにもかかわらず、
ジマーマンが勝手にそれを輸出してしまったということです。しかし、「暗号ソフトウェア
をインターネットに載せること自体が輸出に値するか」、また「PGPが本当に兵器に当たる
ものなのか」という問題は新しく起きてきたばかりの問題で、また誰にも答えることの
できない問題でした。
ところが政府は、彼を3年も捜査下に置いたあげくに、結局起訴することなく捜査を終了
しました。いいかえれば、政府は捜査に3年もの時間を費やして、彼を起訴することが
できなかったということです。その理由は、ジマーマンが何の罪も犯していなかったから
というのは当然ですが、もう一つの大きな理由があると思われます。それは、もしジマー
マンを告訴したならば、それは非常に大きな裁判になり、米国内だけでなく世界の人々の
注目を集めるものになることを政府がわかったからです。そうなると、問題の所在にさえ
気づいていない多くの国民に、さまざまな疑問を生じさせることになってしまいます。
3年の捜査の末に彼を起訴しなかったということは、まさに苦渋に満ちた決断でした。