6-2 情報化された社会における道徳観
冨澤ゼミナール
責任者:橋本 上総
参加者:江口 雄一、影山 太一、櫻井 泰明、鈴木 健一、鳥海 貴、
石崎 毅、宇田川 祐輔、鈴木 裕行、小野寺 信
私達の社会に情報化がおしよせ、とりわけネットワーク上でのやり取りが多くなってきました。ここではネットワーク上で築かれる新しい価値観や情報取捨の位置づけなどをテーマに議論していきたいと思います。
- 情報化に対応できる社会の在り方とは
まず現在ある物理的な社会では法律や規則といった物は存在するのですが、教育の場などにおいてそれに則した理由付けがない規則などが押し付けられています。 例えばなぜ犯罪を犯してはならないか、などといった答えに学校での先生、家庭での親などは"法律で定められているから"と繰り返すばかりです。具体的には"なぜ殺人を犯してはいけないのか"という質問の回答に"自分は殺されたくないから"、といったようにみずからが物事に対しての自分の価値観を考え、自分の行動に責任と必要性を感じる必要が有ります。しかし、そのようにできる人というのは実際の社会には少なく、そのために個人で逸脱する必要の無い社会基準を教えて行くべきだと思います。
こういった話をしているのは情報化の進歩に法律(ネットワーク上のモラル)整備などが追いつかず、他人の決めた規則に従うのではなくみずからのモラル、価値観を持ってネットワーク上での関係を保持していかなければならないからです。先に"社会はモラルを教える必要が有り、個人は情報について考えていかなければいけない"と述べました。これはネットワーク上(主にWEB上)での情報が非常に曖昧で個人はその情報をただ信じるのではなく、考えて真偽を確かめていかなければならないからです。現在最も大衆的な情報というのはTVや新聞、雑誌です。これは社会の中で情報規制がされており、正しいと認識しても悪影響の無い情報がほとんどです。
しかし、ネットワーク上の情報には規制されていない部分が数多く存在します。こういったことの理由のひとつに匿名性だからこそでき、現実にはなしえない個人の背徳・抑圧の開放といった願望といったものがあげられるのではないでしょうか。これによって、情報ネットワーク上の非常に悪影響のある情報が垂れ流しになっています。これを確実に規制できるほどの社会構築はまだされていないし、そのようなシステムを構築する予算や開発計画なども際立ったものはありません。いま、ネットワークの世界というのは何千年前のような統一性のない社会のようなものであると感じています。社会の統一は個々を統一していくことです。「情報のモラル」を整えることによって、ネットワーク上に載せる情報を個人単位である程度抑制し、価値観を共有していくことが出来ると思います。これから大規模ネットワークが形成されて行く中で、「情報」という価値について(それは良い面と悪い面を踏まえた価値)もう一度見直し、法律やモラルを整備して行くことが必要になると感じています。この様な理由で情報化に対応した道徳観の形成が様々な場所で急がれるべきだと思います。
- 政府・技術者に求められること
「IT」という言葉がささやかれる中、人々はその便利な世界に夢を抱きます。しかし、その一方で発生してくるデメリットも数多く存在します。現在でもたくさんの問題がとりこのされている状態です。とりわけ情報システムが作り出す新しい環境は開発者の予想し得ない状況をしばしば作り出します。また情報化に数多くの利点を生み出すコピーフリーな形態が逆に加速的に悪い環境を広げてしまう可能性があります。さらにこの問題がすぐに発症するものではなく、一定期間潜在しているものだと被害は拡大してしまいます。特に今回取り上げたような新たな情報システム環境が作り出す道徳観などは問題視されるまでに時間がかかり、さらに気付かれていても対応が遅れてしまう傾向があってとても危険です。
今後、こういった環境を作り上げる政府や技術者達はできる限りの予測を行い、それに伴った素早い対応(環境作り)が求められる。特に利益を求めるあまりにデメリットを見ようとしない(もしくは見えていない)技術者や企業の経営者に対し、政府は厳しく目を光らせ対応を取るべきだと思います。また単に問題対応と言っても問題の元である環境の改善ばかりではなく、逆に環境に対応できる体質を持たせるように教育制度も敷いていかなければならないだろう。
- 情報化の上に成り立つ社会人の未来
この項では以上のような例に加えて、情報システム環境が整備された後の社会の変化やどのように対応してゆくかについて述べてゆきたいと思う。
まずこれまでに比べ情報機器の使用時間がはるかに増え、人間同士の物理的なふれあいが減り、またあふれる情報のために情報分別の能力が乏しい人は自分でも気付かない情報に流されてしまう可能性がある。こういったことだけでなく、特に子供達は小さい頃から厳しい社会を目の当たりにしなければならず、ストレスをためがちになるので少年犯罪が今までより更にふえることでしょう。
しかし、例えば統計的に見ると少年の自殺件数を過去と比較すると変動は微小で中高年の自殺の方が明らかに増加しています。しかし、現代人は今の社会の中「少年犯罪・自殺が増えている。少年は病んでいる。」と認識している人が多いのではないでしょうか?これは、TVや雑誌で多く取り上げられたからで、社会が情報化していく上での一つの兆候としてあげる事ができると思います。少年犯罪が増える。この見解は少し前に述べたようにありえる事だと思いますが、現行ではたいした問題ではないのです。この場合、むしろ大きな社会的問題にとして取り上げるべきは少年ではなく中高年の問題です。こういった誤った認識を行う可能性を実例から読み取れると思います。しかし、国民が誤った認識を行えば、その世論は政治や社会の流れに関与してきます。事実、少年教育の方針について関係団体が多く動いています。対策として「ゆとり教育」とか行っていますが、教育で大きな問題は「学力の低下」であると思っています。政府は問題点を正しく認識し、それに付いての理解を国民に求めなければなりません。民主国家の中では個人のパーソナリティの傾向というものが非常に重要です。そういった誤った認識を行う可能性を実例から読み取れると思います。
こちらの面でも様々な方向から教育を施してゆかなければならない。例えば倫理・道徳面での教育だけではなくネット上での共通したコミュニュケーションについても教育の整備をしてゆくべきである。具体的には世界の様々な価値観を認識でき、様々な文化との価値観を共有できるような観点を持つ人格を育てたり、また手段としての語学をしっかり確立していかなければならない。またそれ以外にも個人の主張もしっかり持った道徳教育も必要だと思います。
- 考察・意見
情報化社会での「情報」の扱い方、在り方を中心にして議論をしました。技術者を目指すわれわれにとって主観と成りがちな技術面での問題ではなく、その技術をなした後での社会の影響、個人のパーソナリティを考えてみる事が必要だと感じました。そしてそれは私達にとって決して他人事ではなく、他人まかせにする事でもないと感じました。実は行き過ぎた考えだとか、システム論としてのレポートとしてはどうか?という意見もありましたが、実々内容の濃い話になったので取り上げる事になりました。そして、情報の技術を発展させる技術者としてその技術を有効に利用してもらったり、僕らのやっている事の価値が理解されるためにはこう言った社会論的なことにも首を突っ込んでいかなくてはいけないと言う意見もありました。また、"社会が変わるなら現行の方法論を続ける事などなく、新しい社会、新しいコミュニケーション方法が確立されるなら新しい道徳観や社会のあり方を見つけ出す事も重要なのではないか"という意見もありました。
普段の授業と違う論点で話合い、考えたという事実がこのレポートで一つ重要な事だったと思います。