3-1 学校教育と家庭教育
堤ゼミナール
責任者:石井 高雅
参加者:石黒 僚,江間 仁美,林 哲也,川原田 大輔,後藤 健一,西岡 聡,野中 崇雄
- 前書き
学校の教育と家庭の教育の両面に於いて情報化が及ぼす影響について考える。
- 導入部
昨今ではビジネスには欠かせないコンピュータ。コンピュータを利用したビジネスは教育にも及びデジタルコンテンツこそまだ広まっていないものの、コンピュータはどこの学校にも複数台あるというのが常識になりつつあり、情報という授業も小学校から高校の授業まで存在します。
こういった現状から未来を考察すると、近々教育のデジタルコンテンツの整備が図られるであろう。今まではコンピュータを使用することを主とした学習は学校教育で行っているがコンピュータをフルに利用した学習方法を実践している所はまだ広まっていないと思われます。
また、最近ではインターネットを使用する子供も増えている為インターネット上でのエチケットいわゆるネチケットを学習させようという動きも見られます。
コンピュータを利用した学習は子供にとってはゲーム感覚であると思われるので、非常に好まれると思うが果たして着実な学習能力の向上につながるかという点についても疑問が残ります。
よって、様々な問題を今のうちに考察し対応できるようコンピュータを利用した学習プログラムの製作が望ましいと考えられます。
- 未来の教育現場とは?
・一人1台PCという時代がくる
・教材が情報化(プログラム化)される。
・ネットワークによるコミュニケーションの変化
- 未来の情報化が進んだ影響の利点と問題点
利点:
・学校の中でコミュニケーションが豊かになる。
(メールで校長先生や普段話せない人とコミュニケーションが取れる)
・提出物をデータで処理
・家にいても授業が受けられる(ひきこもりにつながる可能性もあり)
問題点
@)漢字の書き取りが苦手となる。(理由:手で紙に文字を書く機会が減少するため)
A)ネットワークを介した授業が多くなるため、学校に頻繁にこないため、団体行動が減少し集団行動ができない人間が増える。
(理由:コンピュータを介したコミュニケーションには対個人としての機能は高いが、個人対集団に対しての機能は低いため、コミュニケーションのあり方がIT化の影響で変化をきたすならば、集団行動が苦手あるいは全くできない人間が増えるのではないだろうか)
B)一人1台PC時代がくることで、コンピュータには慣れるが普段の学習をさぼりがちになるのではないかという問題点がある。
(コンピュータから得られる情報は主にHPを主体としたデジタルコンテンツによると思われるが、HPには他にも様々な情報が飛び交っているので誘惑が多いと思われる)
C)生徒の学力の低下、及び先生の能力、人数の低下が起こるのではないか?
(少子化問題とIT化による教育の合理化が進むことによって、先生が生徒を管理する人数を増やすことが出来るため、先生としての雇用が減少する可能性が考えられる。また生徒の学力の低下の理由としては、文字を直接書く機会が減少する事と、コンピュータを使用すると情報が手軽に手に入るため、自分で調べる力がつかない、又、ゆとり教育の弊害なども考えると生徒の学力は低下すると思われる)
- 解決策
@)について
タブレットを利用した漢字の書き取りを行う。だが、従来どおりが望ましい。
A)について
このことに関しては、ITを活用するのは無理があるように思われる。したがって生徒が集まる場(ホームルーム等)を作る方がよりよい。
B)について
普段の学習を教材のIT化によって学習能力を向上させる解決案はあるが、その案の弊害としては直接文字を手でかかない及び本を読む機会が減少することが考えられる。これに対しての解決策としては指導の点に於いてコンピュータを使用しない本を読む機会を率先して設けることが考えられる。また、教材のIT化の学習プログラムをおもしろく学べることを重要視して作成することで子供が興味を持って望めるものを作ることが必要であると考えられる。
C)について
生徒の学力低下に関しては、教材のIT化を徹底させることが一つの案として考えられる。例えばインターネット上やコンピュータ上で用いる優秀な学習プログラムを国(文部科学省)や企業が率先して作成することが挙げられる。また、先生の人数の低下に関しては、従来の雇用方法を変化させるかもしくはクラス数を増加させ少人数制度を徹底化することで先生の雇用数を増加させるという手が在ると思われる。
- 考察
問題を討論した所、我々が強く感じたことはコミュニケーションに情報化というものは向いていないのではないかということであります。
確かにインターネットを通じて日本中の人々または世界の人々と会話をする機会が増えましたが、私達は身近な友人や知り合いであってもインターネットを通じて会話をする機会が増えた為、直接顔を合わせて話たり、声を聞いて討論するという機会は減ったと思われます。
これが教育面においても影響を及ぼすのではないでしょうか?子供たちが外で遊ばずファミコンばかりやってるといわれた時代が1990年代頃であるが、自体はインターネットの出現によって子供だけの問題ではなくコミュニケーションとしたグローバルの問題となったのではないでしょうか?情報化が教育面においても整備されコミュニケーションの在り方が従来どおりではなくインターネットを介したコミュニケーションが通常となったならば子供たちの精神面の育成にまったくつながらず、より一層集団生活ができない子供たちが増えると考えられます。
コンピュータを教育面に利用すると確かに素晴らしい利点があるかもしれないが、残念ながら教育面に置いては弊害が多いと思われるのが我々の結論であります。コミュニケーションという生活上大切なものを小学校中学校を得て我々は学習していますが、コンピュータを利用したコミュニケーションはそれを妨げるものであると思われる。理由としては直接顔を合わし声を聞く機会が減少する、又同じ空間で会話をする会話をする人間の雰囲気をつかむなど、我々が無意識で考えたり感じたりするコミュニケーションがコンピュータを介することでまったくなくなってしまうからです。
- あとがき
討論をまとめ、それを文章にする作業で重要であると思われたのは、小学校時代に行った委員会としてまとまり、議長を決め討論をし物事を進めてゆくということが重要であり、また集団の前で自分の意見を大声で訴えるということが必要であると思われます。これを考えると、インターネット上で自分の意見を大声で訴える機会などあるのでしょうか?コンピュータが十分に進化した時代を考えても声を伝える機会はあったとしても集団の前で緊張しその緊張感が気分を高揚させ声を大きくさせたり思わぬ出来事を発言するという事が起こるとは想像しにくいです。
先生が教材を管理しやすい、子供たちがゲーム感覚で学習できるとはいえ教育面を合理化することで起こるコミュニケーションの弊害という問題は解決できないものであり、また非常に子供たちの未来に重大な影響を及ぼすものである為教育面をコンピュータで合理化するのも、ほどほど、が丁度よいと感じました。