明治大学における新しい研究所の役割

理工学部 情報科学科 向殿政男

紫紺の暦程、第5号,pp.16-19, 2001年3月 明治大学大学史料委員会の原稿

  大学が教育と研究の場、すなわち、これからの時代を担う有為な人材の育成と新しい情報の創造と発信の場であることは、古今東西、変わってはいません。大学は時代の変化・要請を超越して存在し得ないのは当然ですが、更に時代の変化・要請に応える責務があります。そのような中、最近は、大学の役割として、新しい産業の育成や産業のインキュベーション(抱卵)の機能、すなわち新しい産業の芽やベンチャー企業の芽を育む役割が重要視されてきております。特に近年、技術進歩の激しい、また変化の激しい時代に、このことが大学に求められる新しい機能として注目され、大学の研究活動と深く関わって来るようになりました。研究には、大雑把に分けると、真理の追究を目指す基礎的な研究と実社会で役にたつ応用的な研究とに分かれますが、上記のインキュベーションの役割は、応用的な研究に強く関わっています。もちろん、基礎的な研究でもいつかは役に立つはずですが、両者は研究に対する理念と動機の点からは大いに異なると考えられます。時代が激変しつつある現代、社会は、新しい考え方、新しい制度、新しい技術を必要としています。これは人文系、社会系、理工系といった従来の専門分野的な分け方には無関係な動きです。この新しい時代の要請に応える大学の組織と活動のキーポイントは、明らかに研究所の存在にあります。
  現在、明治大学には三つの研究所(人文科学研究所、社会科学研究所、科学技術研究所)があります。しかし、他の多くの大学に見られるような研究目標が明確な目的研究所と言うものが存在しません。ここで、目的研究所とは、その大学で得意とするテーマを掲げた研究所であって、そこの教員はその研究所の専属であって、(期限を切られる場合も多いのですが)主として専門の研究に専念できる機関をいいます。それに反して,本学の上記の三つの研究所は,専属の研究員が一人も居なくて、しかも本学の教員は形式上、全員どこかの研究所に所属をするという形をとっています。これでは,名前だけであって、実質的に研究所とは言えないのではないでしょうか。この形態は、本学の良さの一つである「平等」がなせる結果かもしれません。このことが、本学を研究の面で、他の一流大学に差を付けられてしまい、もう一歩で追いつき、飛び出せない大きな理由の一つであるように私には思えてなありません。研究に専念できる期間と専念できる機関を本学の教員はこれまで持ち得なかったからです。常に教育と管理・運営事務に追いかけられているのです。これでは、研究を蔑ろにしていたと言われても仕方がないのではないかと思います。時々、研究面で素晴らしい実績を挙げる人が現れても、ほとんど個人の才能と努力によるもので、本学のもう一つの良さである「自由」のなせる技でしょう。しかし、時によってはそのような人は他大学に抜けていってしまうという例も少なくありません。現状がこうであっても、多くの教員は日夜、教育の激務に耐えながら、懸命に研究に取り組んでいます。しかし、必ずしも全員がそうとは思えません。本学の良さの一つである「平等」はすぐに「悪平等」に、そして「自由」は「研究をやらない自由」に陥りやすいことを自戒しなければならないと痛切に感じています。競争原理が入り込まず、批判と外部評価が入り込まない世界ほど楽なものはありません。
  理工系では、その研究分野の性格もあって、総額としてはトップクラスの私大には到底及びませんが、科学技術研究所を経由して、これまで積極的に委託研究研究等の産学共同研究を行い、外部研究資金の導入に努力して来ました。この様な中、1997年度の文部省私立大学高度化推進事業の助成を受けたプロジェクトとして、科学技術研究所の所管で、明治大学ハイテク・リサーチ・センターが発足しました。ここには、当面は5年間の期限として、「生命機能の活性化及び人工生命体の高機能化に関する研究」という生命機能に関するプロジェクトが理工学部と農学部との共同でスタートし、研究開発プロジェクトに必要な施設、研究装置等が設置されました。我が理工学部と農学部が得意とする生命に関する研究に的を絞った研究プロジェクトであり、農学部に生命科学科がスタートしようとする時期にも合致していました。これはまさしく、文部省の支援を受けて目的研究所のミニチュア版をスタートさせたようなものです。更に、翌年の1998年度には、文部省学術フロンティア推進事業として、大型研究プロジェクト「激震動を受けた建築構造物および構造物内機器装置の耐震性能の向上化に関する研究」を大学院理工学研究科が申請したところこれも認められました。そして、本学が中心になった内外の大学や研究機関、企業との共同研究の場として、生田構造物試験棟が建設されました。耐震構造の研究は、地震国のわが国が世界をリード出来る研究分野であり、幸いにも本学理工学研究科には、その道の専門家が揃っています。わが国のみならず世界の研究の拠点になるべく、大いに期待できる分野です。これもまさしく、文部省の支援を受けた本学を中心とした産学共同研究の場の誕生です。この二つプロジェクトを突破口に、理工系だけでなく他学部でも、ハイテク・リサーチ・センターや学術フロンティア設置が動き出しています。更に一方では、科学技術研究所を中心として、大学内で開発された特許を産業界に紹介し、開花させることを目標としたTLO(Technology Licensing Office:技術移転機構)が本学でも検討され、そのためのセンターが出発しました。これらの動きから分かる様に、本学でも、産業の活性化機能、及び産業のインキュベーション機能を目指して、目的を決めた研究組織が形付けられ始めました。確かに、これらの動きは文部省の先導で始まり、他大学に遅れないように追従して来た面があるのは事実です。しかし、本学は、それに追従するだけの実力と、理事会の柔軟性と、懸命な努力を払う教員がいるという事実は、誇るに足ると思います。流石に明治大学は底力を持っているのです。
  現在、大学は教育を専門とする大学と、研究を専門とする大学に分離する傾向にあります。そのような中、本学はどのような方針で行こうとしているのでしょうか。私は、教育と研究とがお互いの絡み合い、刺激し合うような教育と研究の両方担う総合大学を目指すのが本学には適していると思います。その時、目的研究所は必須の機関でしょう。私が現在イメージしている応用を目指した目的研究所は、以下のようなものです。すなわち、本学が得意とし、世界に誇れる成果が得られる可能性のある研究テーマ、すなわち本学にその道の専門家が居る、または本学を特徴付けるものであって、現在社会が要請する研究テーマを企業と連携して研究をする目的別の研究所である。この様な幾つかの研究所を5年から10年を目安にして公募により、時限付きで設立する。研究員も5年前後の期限付きで、本学の教員が中心であっても、半分以上は外部から積極的に招く。もちろん博士後期課程の院生も研究員として活躍の場を提供する。本学の教員の場合には、そのとき教育から開放されて研究に専念する。大学は場所を提供するが、研究費は研究所が自ら外部から導入してくる(この時、大学はその外部導入資金の数パーセントを徴収して基礎的な研究を行っているところに還元することが望ましい)。研究評価は、外部の第3者機関に厳密に行って貰う。期限が来たら他の研究テーマを募集して新しい研究テーマと競わせて研究所を再出発させる。等々と言ったようなものである。この様な研究所を通して、我が明治大学には、光を当てるに値し、社会に貢献できる研究のテーマが数多く潜在していると確信をしています。

参考文献
向殿:これからの大学の役割,私立大学連盟 教育研究支援専門研修会「ビジョンフォーラム--21 世紀の大学のルネッサンス」-基調講演,1999-9,
http://www.sys.cs.meiji.ac.jp/~masao/kouen/univer.txt